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東北見聞録 3 歩く・会う・語る・住む
黒田四郎 著
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立ち読みコーナー
世界に羽ばたく東北
 
 ◆平成遣欧使節団

 慶長遣欧使節団の支倉常長(はせくらつねなが)は、ローマ法王とスペイン皇帝に宛てた二通の親書を携えて、一六一三年、宮城県月の浦を出航した。総勢一八〇名の一行は、太平洋、アメリカ大陸、大西洋を経て、スペインに上陸し、そこからローマに至り、ローマ法王に謁見し、帰路スペイン皇帝に謁見して、一六一九年に帰国した。その際、常長はキリシタン関係の道具類と、一九巻の日記を持ち帰ったが、日記は明治になり、残念ながら紛失してしまった。もし現存していたら、常長の見た十七世紀のヨーロッパ事情として、貴重な資料になっただろうと思われるにつけ、まことに残念である。

 それはともかくとして、常長の渡欧は、わが国で初めて、東北から世界(西洋)に情報発信したものであった。同時に、当時は西洋では、ほかの文化圏へ旅する大航海時代であったが、東洋から西洋へ渡り、しかもアメリカ大陸を経て太平洋と大西洋を往復したことは、世界史に燦然と輝く偉業である。加えて、後世、わが国、特に東北の人々に与えた影響は、計り知れないほど大きいということができよう。

 二〇〇一年、仙台は、常長の主君・伊達政宗(だてまさむね)によって開府されてから、四〇〇年を迎えた。仙台開府四百年記念事業推進協議会(会長・村松巖仙台商工会議所会頭)は、この記念行事の一環として、仙台とゆかりの深いイタリアのバチカンとの交流を深める目的で、二〇〇〇年七月二十二日から二十九日まで、平成の遣欧使節団を、バチカンに派遣した。

 団長は藤井黎仙台市長で、村松巖協議会会長、伊達泰宗・伊達家第十八代当主、松島瑞巌寺・平野宗浄住職、常長の子孫の方々、公募の市民の皆さんら、総勢一五一名であった。

 公式行事としては、常長の偉業を偲ぶ追悼ミサが、聖トーマス教会で行われ、通常一般人は入ることができないローマ法王の夏の離宮内の庭園を見学した。また、仙台市出身で、ローマ在住の彫刻家・武藤順九(むとうじゅんきゅう)氏寄贈の現代彫刻「PAX2000−風の環」の除幕式が行われた。

 この作品の台座には、仙台城の石垣の石が使用され、加工は、仙台城の石垣を造った石工・黒田屋八兵衛の子孫の、黒田孝次氏が担当し、仙台ゆかりの作家・井上ひさし氏の書いた碑文が、刻まれていた。謁見の際は、バチカン側の特別のはからいで、法王に最も近い席が用意され、法王は日本語で「日本仙台ありがとう」と言われ、一同大いに感激したという。

 また、ローマ近郊のカステルガンドルフォ市との交流では、すずめ踊りを披露するなど、仙台とバチカンとの交流は、大いに成果を挙げ、今後の一層の交流の進展が期待されるところである。

 世界史に燦然と輝く大偉業を達成しながら、心ならずも不遇のうちにこの世を去った常長の霊も、さぞかし喜んでいることであろう。

  ◆常長に続く快挙

 平成遣欧使節団は以上のように、すばらしい成果を挙げたが、さらに、常長の壮挙に続く、三つの快挙について述べてみたい。

 第一は、東北経済連合会の訪欧ミッションである。東北経済連合会は、会長・明間輝行東北電力会長(当時)を団長に、副会長および東北各県の経済界のトップら二〇名からなるミッションを編成し、欧州を訪問した。このことについては 『東北見聞録2』ですでに述べたので簡単に触れるにとどめるが、このミッションは一九九九年七月十六日から一〇日間、イギリス、ドイツ、ベルギーおよびフランス四ヵ国を訪問し、EUの調査、東北のPR、EUと東北との交流の促進を求めたものである。東北挙げての経済ミッションであったことといい、またEUの主要四カ国へのミッションであったことといい、常長の慶長遣欧使節団に比肩すべき快挙ということができよう。

  第二は、二〇〇〇年二月二十八日から三月十三日の仙台フィル(明間輝行理事長)のヨーロッパ公演(実行委員長・村松巖)である。この公演は、オーストリアのリンツの音楽ホール市立ブルックナーハウスの運営者が、仙台フィルのCDを聞き、ぜひ定期演奏会に参加をと切望して実現したもので、仙台フィルにとっては初の海外公演であった。

 一行は、明間輝行理事長、村松巖実行委員長とともに、オーストリアに入った。この公演は、まず三月三日のオーストリアのリートにあるヤーントルンハーレ演奏会場に始まり、五日がリンツのブルックナーハウス、六日がウィーンで、九日はフィラハコングレスザール、十一日にはイタリアのローマの大講堂で外山雄三・音楽監督指揮で行われ、会場はほぼ満席で大好評であった。

 公演のハイライトは、ウィーンを代表する演奏会場コンチェルトハウスで行われた。西村朗作曲のファゴット協奏曲「タパス」を、馬込勇さんが独奏し、二年前のボンピドゥー国際コンクールで第二位に輝いた梯剛之(かけはしたけし)さん(ウィーン在住)がショパンピアノ協奏曲第二番を披露した。外山雄三さん指揮のオーケストラとの息はぴったりで、力強い演奏に、ほぼ満席の会場から、温かい、大きな拍手が起こったという。

 最後のローマ公演では、演奏前に、常長にちなんで宮城県とローマによるエールの交換がなされ、ラフマニノフ交響曲第一番などの演奏は好評であった。

 仙台フィルのコンサートマスター森下幸路さんは、欧州公演旅行記(河北新報掲載)の中で、
 「今回の演奏旅行は、ヨーロッパで生まれたクラシック音楽を、われわれ仙台フィルが丁寧に、自分たちの言葉でつくって、本場に里帰りさせた旅だったともいえる。特別に手法をこらしたわけでもなく、ただ、仙台フィルの日頃使っている言葉と、歌心を聴いてもらってきただけなのだが……僕らも最高に楽しかった。気になる聴き手の反応はというと、それはそれは温かい拍手を送っていただいた。あえて今後の目標を立てるとしたら、仙台フィルとしての語いや歌心を、もっともっと豊かにしていくことで、それには東北の文化、仙台の自然、そんな大げさなものでなくてもいい、普段の身の回りの出来事、自分たちの地元に目を向けて、感性を育て続けることだ」
 と述べられている。

 私はこれを読んで、今回の仙台フィルの海外公演は、大成功であり、団員一同に自信と誇りを与え、研鑽をさらに積まれるならば、仙台フィルの今後の活躍は、大いに期待されうるであろう、と思った。

 ところで、仙台童謡愛好会(櫻井恵美子会長)は、平成二年(一九九〇年)六月に、ニューヨークで出前コンサートをしたという、すばらしい実績があるが、さらに創立十五周年を記念して、多くのウィーンの人たちに仙台の童謡を楽しんでもらいたいとの願いから、ウィーン演奏旅行を企画した。

 二〇〇一年六月十八日に成田を発ち、ウィーンに五泊、パリに一泊し、二十五日には帰国というスケジュールだったが、メインイベントはウィーン楽友協会ゴールデンホールでの演奏であった。櫻井会長は、「夢が実現して、世界一の楽友協会のゴールデンホールで演奏でき、ウィーン少年合唱団と一緒に歌うことができて、うれしかった」とのメッセージを出されている。

 仙台童謡愛好会を中心にして、宮城県内の童謡愛好会(本吉町、石巻市、松山町、加美町(かみまち)中新田)有志も参加し、声楽家・三塚典子さん、松倉とし子さん、松谷郁子さんを含む総勢約一〇〇名が、宮城県お母さん合唱連盟理事長・武田譲先生、および櫻井会長の指揮、野田久美子さんの伴奏で、童謡、唱歌を演奏した。以下、この公演の模様を、櫻井会長からいただいた資料と、本吉童謡愛好会会長及川せい子さんの『「仙台童謡愛好会・ウィーンで歌う」に参加して−夢の実現・生涯の思い出−』(三陸新報社)を参考にして、述べたい。

 第一ステージは武田先生の指揮で、「どこかで春が」「我は海の子」など春夏の歌をそれぞれ一〇曲、第二ステージは、「どんぐりころころ」など宮城で生まれた曲を一二曲、櫻井会長の指揮で披露した。第三ステージは、ソプラノ歌手の松倉さんが「夏の思い出」など中田喜直作品五曲を歌い、第四ステージは、ソプラノ歌手三塚さんがドイツ語でドイツの歌を三曲歌った。第五ステージは、ウィーン少年合唱団、第六ステージは、ソプラノ歌手松谷さんによる日本の歌の独唱と、踊りと合唱であった。

 フィナーレは、「野ばら」をドイツ語で歌ったが、一番を仙台童謡愛好会が、二番をウィーン少年合唱団が、三番は合同で大合唱し、最後に「ウィーンわが夢のまち」で締めくくった。ほぼ満席に近い二〇〇〇人の観客からは拍手が鳴りやまず、壇上の皆さんも楽しみながら精一杯歌い、生涯の思い出となったと言っておられた。私はこれを聞いてこのウィーン公演は大成功であったと思った。

 それにしても、家庭の主婦である皆さんが、武田先生、櫻井会長の下に、楽都・夢のまちであるウィーンで、このようにすばらしい合唱をなさったのは、すばらしいことである。大津眞貴子先生について、ドイツ語を一年間も習って、本場でドイツ語で歌われたことは、もちろんであるが、同時に、ウィーンについてもあらかじめよく勉強され、現地での自由行動時には、ウィーンを満喫されたことも、すばらしいことである。常長の壮挙に続く、快挙である、といってよいのではないだろうか、と私は思っている。