二一世紀の〈東北〉はどのような自画像を描くべきでしようか。日本列島の中の、本州島東北部の地域が〈東北〉と呼ばれるようになったのは近代初期のことでした。そして、それ以来編まれてきた日本国の歴史において、〈東北〉は、京都や江戸や東京の中央政権によって統治され、中央の進んだ文化を取り入れながら、畿内や関東より遅れて開けてきた地域とみなされてきたのではないでしょうか。地域の歴史のエピソードは、一国の「大きな歴史」にかかわる出来事―たとえば蝦夷の反乱や平泉の繁栄と滅亡など―を除いて、注目されたり、重要な意味を与えられたりすることはありませんでした。
しかし近年このような「大きな歴史」に対する疑問が投げかけられるようになりました。この東アジアの列島の北と南、西と東に散在するある土地、ある時期、ある社会に生きた多様な人々にとって、誰もが共通に了解できる「大きな歴史」は不可能でした。それでも「大きな歴史」が編まれ教えられるようになったのは、近代国家の国民統合の必要からでした。
いま〈東北〉の歴史と文化を、この地に生きる人間の知と心の本物の資産として捉え返すには、国家や民族・国民の形成史を中心とする「大きな歴史」から一度自らを解き放ち、あらためて地球上に展開する人間社会の多様性と普遍性のなかに、〈東北〉の自画像を描き直すことが必要ではないでしょうか。
〈東北〉には固有の生活と思惟と祈りの歴史層があります。山脈の裾野に発達した深い森林、豊富な伏流水、大小の河川、個性的な盆地と平野、そして暖流と寒流とが出合う海、これら生態圏に繁栄した動植物群を基盤に、個性的な小社会が群立しつつ、固有の思惟と祈りとがはぐくまれました。その歴史空間には北東ユーラシアからつららのように垂れ下がる北方的世界と、列島中央から北進する華夷秩序的世界とが交差重層して、独自の時間が流れていたのです。
近代化の隘路的帰着ともいうべきグローバリズムに直面した今日、〈東北〉には人間社会の固有性と多様性の意味を再発見する、思惟のホームランドとしての期待も高まり、全国からの視線が集まっています。
このような時にこそ、〈東北〉の歴史と文化は、まず〈東北〉で生き、暮らし、〈東北〉を愛する人々が再発見し、再創造しなければならないのです。近代の碩学によって「発見された東北」からは、もう卒業の時期だと思うのです。『東北文庫』は、このような認識と思惟と希望とに促されて運営してまいります。 |