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東北見聞録 歩く・会う・語る・住む
黒田四郎 著
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立ち読みコーナー
東北のセールスマン

 私が企業誘致を始めたのは、昭和四十九年である。今ではほとんどしていないが、現在までも加えると、もう二十年余になる。それだけに思い出も多い。

 昭和五十九年十一月、板垣前山形県知事を団長として、企業誘致および実情視察のため、二十一名のミッションを組んでアメリカに行ったときのことである。板垣団長は挨拶、副団長の私は東北の魅力についての概要説明、加藤周二元宮城県企画部長は英語で詳細説明という段取りであった。私は英語の原稿を読みあげるだけであったので、気は楽であったし、何よりも多くのアメリカ人の方々の前で英語でスピーチできるのが楽しく、聴衆と原稿を半々に見て話したのであるが、皆さんに非常に熱心に聞いていただき、しかも後で私のスピーチがとてもわかりやすかったとのお言葉を頂戴して嬉しかった。

 私たちの企業誘致説明会は前後九回に及んだが、その間アメリカの有名なべクテル研究所の見学も行なった。時は十一月の始めのことで、同研究所は紅葉と黄葉に包まれてとても美しかった。そのとき急に挨拶するように言われたので、私は英語で、
「アメリカの都市は美しい。実は私の名前は黒田四郎、つまり黒と白であるので、日頃から紅や黄にあこがれているが、その紅や黄にこのように心ゆくまで触れることができて本当に嬉しい」
 と挨拶し、皆さんに喜ばれた思い出がある。

 もう一つは、世界のモトローラ社の東北への誘致に関することである。私は約八年間ずっと、このために同社に出入りしていたが、昭和五十九年十二月二十五日、同社から会いたいと言われた。当時は東北電力の副社長で、宮城支店の調査役、大越英男氏と一緒に仕事をしていたが、このときは一人で雪の積もった夜の福島県の喜多方に赴き、幾多の折衝の後、最後はいい感触を得ることができ、喜びのうちに雪の道を帰ることができた。思えば、私にとって生涯忘れられない感激の年の暮れであった。

 私の仕事の一つとして陳情がある。例えば、新幹線フル規格化とか、高速自動車道、空港、港湾等についての陳情である。

 亡くなられた鈴木永二・第三次行革審会長のところに陳情に行ったときのことである。私は鈴木会長は愛知商業高校のご出身と聞いていたので、
「昔愛知商業に小島投手、手島三塁手、勝川遊撃手がいましたが、会長とはどういう関係でしょうか」
 とおうかがいしたところ、会長は同級生とおっしゃった。お陰さまで大変いい雰囲気の中で陳情することができた。

 昭和六十三年十一月、私たちはソウル便開設のため、ソウルに李範俊・交通部長官(日本の運輸大臣にあたる)を訪問し陳情した。そのとき私は太白山のある江原道出身の同長官に、「お国にも太白山があり、仙台にもあります。いずれも霊峰であり、何か不思議な結び付きを感じます」と申し上げ、会議の雰囲気が和やかになった記憶がある。

 企業誘致も陳情も、セールスということができるのではなかろうか。