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藩政時代から明治・大正・昭和にかけて、能芸術に情熱を燃やした人々のエピソードや各流派の活動などを紹介。 |
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●2,136円(税込) ●四六判、281頁 ●92年5月第一刷 ●秋田魁新報社 |
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地方都市では珍しい能の継続的な定期開催が定着し全国的にも注目される秋田。秋田蘭画、秋田俳諧にも象徴される文化人肌の秋田藩歴代の佐竹氏から、明治以降それを継承し、民間にその生命の種子を移し替えるために生涯を捧げた指導者、そしてこれら伝統芸能に理解を示す優れた文化人など、豊穣な土壌に支えられた能楽謡曲史を系統的にたどる。
■序にかえて 渡辺豊治
■第一章 室町〜江戸時代−武家階級に愛好される
“能のさわり部分”が民間にも/能楽から発達した能/江戸期以前にも秋田に能楽/安東氏ゆかりの地に能楽殿/植田には小鼓城/能楽以前の面が湯沢市に/初代秋田藩主義宣と能/藩で能衆を育成する/藩主自らも小鼓を打つ/久保田城内に能楽堂/藩の外交に能を催す/能で居眠りし、秋田藩主の座を失う/町民たちも関心を持つ
■第二章 明治時代
(1)まず小謡が普及
祝い事に欠かせぬ/生活に根ざした謡・三関の場合にみる/崇拝された小謡の先生たち/若者たちが教養として習う/小謡は今日の謡曲の生みの親
(2)謡曲秋田の草分け−石川泉翁の活躍
藩乱舞方として育つ/湯沢を拠点にする/十一歳の時初舞台/厳しいけいこうかがわせる/渋い謡声、耳に残る/各地に謡会を創設(湯沢、西馬音内、明治村の婦人たちを魅了、横手、増田、神宮寺、角間川、大曲、男鹿)/全県の門下、千八百人に及ぶ/謡曲ひと筋をしのばせる諸資料/神戸にも足どり/秋田支部設置で宗家と相談/口伝された精神統一法/結婚の座配の心得示す/梅若問題について手紙/新作謡曲もつくる/不遇だった晩年/四十余年ぶり奇跡的に墓所発見/三伯会長も逝く
■第三章 大正〜昭和 各流の職分が本県に出入り
(1)喜多宗家一行初の来演
栗谷、梅津職分らが活躍/湯沢町住民となった喜多宗家/軍部の台頭で低迷期に/酒肴料を下賜された彦之丞/情熱傾ける藤田/弱法師の絶品/臨終に“羽衣”謡う/県北にも足をのばす梅之助/霞しゅう会を各地に設立
(2)名尾知事らが観世の草分け/梅若が秋田に疎開/和風翁の批評が薬に/塩田団平が職分招く/秋田九皐会を設立/岸諄一が大館で指導/北島、田中らが能代で活躍
(3)明治期から地盤固める宝生/戦時最中に演能/佐藤要吉が再び後援役買う
■第四章 戦中から戦後へ−各地に熱心な後援者
湯沢で戦後のトップ切る/栗谷、梅津の追善能開く/能装束を疎開させる/熱烈に三吉さんを信仰/小鍛冶を舞って奉納/名人・乾三と九渕が米内沢に疎開/スケール大きい鹿山翁/宝生流の知恵袋/ヒマがあれば小声で誦経/全国有志の拠金で顕彰碑
■第五章 三流合同演能の幕開け
(1)“秋田県に文化の灯を”が合言葉
営林局を口説き落とし能舞台/第一回大会に「山姥」など/県民に身近になる/各流公演一巡して息切れ/再起の試みも失敗
(2)沢木が再興めざす
十八回にわたって演能/人間国宝後藤が公演/けいこは年中を通し早暁に/七十一歳で鬼籍に
■第六章 能と狂言に親しむ会
(1)先人の遺業を継ぐ
演能推進委員会を設立/秋田魁新報社が共催引き受ける/全県謡曲・仕舞大会も併設/全国のモデルとして育てる/県喜多連盟をつくり体制固める
(2)薪能開催に向けて
雨中の中、熱い心で結ばれる/バラ色の夢/サイは振られる/まいた種は必ず芽吹く/再度の薪能で論議沸く/薪能の火は燃えて
(3)長年の努力が評価され能楽施設あちこちに
思いがけない助け舟に/利用される唐松能楽殿/能楽堂建設への要望経過/秋田市に民俗芸能伝承館/ハイレベルの能楽囃子連盟/新作謡曲「象潟」と「槎の潟」/秋田県演能年譜(近代以降)/秋田県能楽謡曲史年表
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