私は、これまで本を書いたことがなかった。唯一あるとすれば、愛知県立一宮中学校を卒業して田舎でサラリーマン生活をしていたとき、一宮中学の当時の校長・久野新松先生を介して、私を書生として東京に呼んでくださった弁護士・水野東太郎先生の追悼伝記集『水野東太郎』の第二部・伝記を書いたくらいのものである。
そこでなんとか自分の本を出したいと思い、東北通商産業局の月刊誌『東北通産情報』の「みち」コーナーに連載していたエッセイを出版できないかと考えていたが、その手がかりも得られないままに、いたずらに月日を経過していた。ある日、福島大学出身の八朔社の片倉和夫社長にお会いして、話をしているうちに、社長から、何か書いたものがあったら送ってもらいたいとのことになり、連載のコピーを送ったところ、本にしましょうということになった。それからは、片倉社長、および同社の中村孝子さんに大変にお世話になって、本書ができあがった次第である。思えば、私の「みち」コーナーの連載が終わったのが去年の三月であり、もう一年も過ぎてしまった。
その間私の心を強くひきつけた事柄がある。それは司馬遼太郎とドナルド・キーンとの対談『日本人と日本文化』(中公文庫)についてである。同書において引用されている旧制一高の市原豊太教授の随筆によれば、昭和十八年秋の夜会で、詩人大使ポール・クローデルが、ヴァレリーに向かって次のように言ったという。「私がその滅亡するのをどうしても欲しない一つの民族がある。それは日本人だ。これほど興味ある太古からの文明をもっている民族を私は他に知らない。最近の日本の大発展も私には少しも不思議ではない。彼らは貧乏だが、しかし彼らは高貴だ」
なんと素晴らしい言葉ではなかろうか。ここでいう高貴とはどういうことか。今となっては確かめるよしもないが、私が本書で言っている心の豊かさではないであろうか。司馬遼太郎が折に触れて言っている「名こそ惜しけれ」を始めとして、感謝する心、足るを知る心、勿体ないと思う心、謙譲の心などではないであろうか。
最後に本書出版にあたって、格別にお世話になった方々がある。まえがきで述べたごとく、十六年もの長い間務めさせていただいた東北電力、および東北経済連合会、そして私に「みち」コーナーにおいて八年間にわたって随筆執筆の機会を与えてくださり、かつ本書出版を認めてくださった東北通商産業局、および通商産業調査会の方々、そして出版にまで漕ぎつけていただいた八朔社の片倉和夫社長、および中村孝子さんに対して、限りない感謝の意を表したい。そしてまた私が勤務している東北産業活性化センター(明間輝行会長)、電力ライフ・クリエイト(矢吹敏一社長)、また私の仕事と密接な関係のあるインテリジェント・コスモス構想推進協議会の石田名香雄会長、西澤潤一・東北大学前総長、その他の多くの方々に対して、そして十六年もの間私を育んでくれた東北の山や川や草木や野鳥、そして何よりも東北の皆さん方に対しても、深い感謝の意を表して、あとがきを結びたい。
一九九七年三月
黒田 四郎 |