東北文庫   ホーム   購入ガイド   このサイトについて   お届け状況   お問い合わせ   サイトマップ
www.tohoku-bunko.jp ホーム ≫書籍一覧 ≫東北見聞録 ≫立ち読みコーナー かごの中身をみる  
書籍一覧
書名、著者名ほか、キーワードでお探しの本を検索
 
東北見聞録 歩く・会う・語る・住む
黒田四郎 著
関連書籍/東北見聞録 2東北見聞録 3東北見聞録 4
立ち読みコーナー
“奥の細道”という道

 芭蕉ブームが去って、もう三年になる。ここらで 『奥の細道』を読んでみるのも悪くはないと思い、この夏休みを利用して岩波文庫の萩原恭男校注『おくのほそ道』を読んでみた。「曾良旅日記」および「奥の細道菅菰抄」付きのものである。

 私のねらいの一つは、どうして「奥の細道」という題名がつけられたかである。例によって頭の体操をすれば、「みちのく」から、「みちのおく」となり、これをひっくり返せば、奥の道つまり奥の細道になるのではないか。そのように思ったりしていたが、今度読んでみると、奥の細道の壺の碑のところで、
「かの画図にまかせてたどり行けば、おくのほそ道の山際に十符の菅あり。今も年々十符の菅菰を調へて国守に献ずと云えり」
 とされており、その補注(曾良旅日記、歌枕覚書)によれば、
「今市ヲ北へ出ヌケ、大土橋有リ。………奥ノ細道ト伝。……仙台ヨリ貳里有、塩ガマ、松島ヘノ道也」
 とあり、さらに脚注によれば、大淀三千風らによって仙台市東北、岩切の東光寺付近の七北田川(冠川)ぞいの道と設定されていたとされている。奥の細道とは、ここからとったのではなかろうか。

 そこで私は、去る八月のある日、この奥の細道を尋ねて東光寺を訪れた。ここは由緒深い寺であり、その入口の石段の下のところに、奥の細道の碑があった。芭蕉ブームの平成二年に建てられたもので、これより東に続く古道に由来するとされている。私はかつての古道を辿ったのであるが、風格のある町並みで、三百年前を偲び感慨無量であった。もし奥の細道の題名がここから取られたものであるならば、関係者はこの点についてさらにPRされてもよいのではないかと思った。

 もう一つの私のねらいは十符に関することである。芭蕉に関する中興期のすぐれた研究家、蓑笠庵梨一(一七一四〜一七八三年)は、『奥の細道』の注釈書『菅菰抄』を著し、この本は、後世『奥の細道』の注釈で本書によらないのものはないとまでいわれているが、この書名もこの十符の菅菰によったものであろう。

 ところで伊勢の人、橘南谿は、医術修行のため全啓を漫遊して、近世後期のベストセラー『東西遊記』を著しているが、東北についていえば、新潟−鶴岡−秋田−青森−盛岡−仙台−白河などを訪れて、各所の名所旧蹟等について述べられており、十符については、「十府の里は、いにしえ菅菰の出でし地にして奥州の名所なり」と書き始めているが、仙台から十府と覚しきあたりに来て人々に尋ねても、誰も知る人はなかったという。どうして十符がそのようにわからなかったのであろうか。この付近には利府町がある。かつては十府の里ともいわれていたとか。

 そこで頭の体操をすると、十府から利府(とふ)となり、利府(りふ)となったのではないか。しがって南谿の赴いた頃には、利府(りふ)といわれており、それでわからなかったのかもしれない。いずれにしても世の識者に問ふ (十府)問題であろう。